シンポジウム 2019年10月26日(土)9:30~11:30

会場:A会場 岡山プラザホテル 4F 鶴鳴の間  

全体テーマ「かけよう心をつなぐ橋~~若者といかにつながるか」

コーディネーター
 川上範夫(関西福祉科学大学心理科学部教授)

 現代の個人主義、民主主義、科学主義の行き着く先で生きる若者は「スマホ自閉」と「スマホ万能」に集約されるような「自由と孤立の表裏一体」、「権利と防御の表裏一体」という微妙な緊張感の空気のもとで生きている。
 このことが若者の心を「適応への強迫」へ追い込み、ひいては「個としての存在不安」を引き起こし、さまざまな適応不全反応、例えばリストカット、呼吸不全、摂食障害、ひきこもり、不登校、発達障がい、無気力、抑うつ、自殺企図、などにつながっている。人間関係においても暗黙の通じ合い、以心伝心、寄り添い、といった魂レベルの「通じ合い」は実在現実でなくなってきている。人間性の「彷徨い」の時代と言ってよい。
 こうした認識を問題提起として、石田陽彦先生、谷口仁史先生、大重耕三先生に議論を展開していただくことにする。

シンポジスト
 石田陽彦(関西大学心理臨床センター センター長)

「君がいて僕がいる」世界から、「僕がいないから君もいない」世界へ。
 「ありのままの自分」を大切にするのは素晴らしいことだとよく言われますが、それも認めてくれる他者との関係が成熟していればこそ。成熟した関係性のないところでは「ありのまま生きること」は、それが個人の意思による相手の存在を意識した意図的なものならばまだ救われる余地もあろうが、身勝手を通り越した「理解不能」で終わってしまっている事態が散見される。 シンギュラリティーつまり、AIが人を超えるということをまことしやかに考え始めた人たちが人間性を、慈愛や悲哀と言う情的な関係性の中に求めなくなってしまい、人間性ですら図式化された簡単な合理的な理解ですむことを求めることに終始し始めた。それが良いことの様に誤解され世間に広まり始めてから、発達障碍者(児)や虐待が増え始めたように感じられる。人は部分的に切り取られた認知科学的機能で生きるにあらず、こころの存在と哲学によって生かされるであろうに、若い人達にそれを求めるのは今の社会や今の教育の下では無理なのだろうか?
 つまり人を「慮る」と言う能力が、人から抜け落ちていくのではないか?という危機感が私にはある。

シンポジスト
 谷口仁史(NPOスチューデント・サポート・フェイス代表理事)

「どんな境遇の子どもも見捨てない!」~若者の社会的孤立を生まないために~
心を閉ざした若者たちの多くが、悩みや苦しみを誰にも打ち明けられず、孤独の中で暮らしている。彼らをうため、こちらから出向き、直接支援する“アウトリーチ”と呼ばれる訪問支援を行う。ひきこもりや不登校、非行など、若者たちが抱える課題は、社会の人間関係に傷つき、孤立することによって深刻化しやすくなる。
彼らが自ら相談施設に足を運ぶことは難しく、自立に向けたきっかけを得るには、アウトリーチが必要だ。しかし、アウトリーチは極めて高い援助技術を要し、熟練の支援者でも取り組むことが難しい。心を閉ざした若者との直接接触はリスクが高く、状況を悪化させる恐れもある。相談のほとんどは、複数の支援機関がすでに本人との信頼関係の構築に失敗し、対応できなかったケースのため、支援者に対する不信感や拒否感が強い場合が多い。最大の難関は、最初のアプローチである。

シンポジスト
 佐藤康治郎(岡山県精神科医療センター)